同志社キンタマ大学チンカスブリブリ校地ー灰になった良心館ー

おれな、このまえキャンパス歩いてたんだわ。同志社大学今出川キャンパスってとこなんだけどね。まあ、つまらん所よ。歩いてる若者みんなそこそこヘボくて元気ないからね。そしたらラウンジの自動ドアにこんなのがあったの。

 

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 めっちゃ頭悪いな。何これ。

 

 

 

まあ、これ見て頭来ちゃったわけよ。簡単に言うとね。マジでムカついた。たしかにね、この今出川ムカデカス天かすボットン便所激臭ウンコキャンパスじゃ原付で敷地に入れないし(おれめっちゃ原チャ好きなんよ)、自転車は降りて押して歩かなきゃだしもし乗ったらそこら中にいる七流警備員の方々が〈さも大ごとかのように〉駆けつけてきて〈鬼の首取ったかのように〉怒鳴ってくるしね。みんな楽しくサークルやってるラウンジは小ぎれいに片付けられるし、各施設の使える時間はどんどん減ってる。

 

 

あーつまんね。そこにこの張り紙。

 

 

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ほんと終わってるしここまでモノをつまらなくすることができるのかとうっかり感動しそうになりつつムカつき散らしちゃった。

 

「こちらから一旦外出されますと、中には入れないようになりましたのでご注意ください。」

醜い日本語だ。ひたすら醜い。さも当然かのように出てくる「中には入れないようになりました」という妙ちくりんな文言。多分これ書いた奴めっちゃ頭悪い。まあまあ頭悪い俺でもわかる。この内容はひたすらに間違ってる。人をシャットアウトするという、ある種痛みが必要な作業を「入れなくなりました」の一言で片付けてしまうその無邪気なまでのどうでもよさ。終わってる感性。そしてそれに続く「ご注意ください。」一方的に利益を損なっておいて繰り出される、「ご注意ください。」

 

「車の音が毎晩うるさいので廃車にしときましたわ。ご注意ください!(隣人より)」

 

「ご注意ください。」と言えば贖罪になる。あがなえる。なんせ、やる側は注意を促しているのだから。君たちはね、注意しとけばいいんよ。アタマいいとかいらない。いるのは、この文面を読んで、とりあえず納得すること。ご注意くださいという一文は語尾に過ぎない。文のスワリを良くするためだけの、飾り。きみたちはまあ飾りでも見ておきなさい。あとはわれわれでやっておくので。ドアは開きません。ご注意ください。

 

 

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早速おれはコンビニに行きレポート用紙とセロハンテープを買った。ま、やるときゃやるんですよ。ぼくは自分の言葉で語るために大学に通ってるからね。きみたちもそうでしょ?語ることで人は自由になれるし、どこへだっていける。語ることで世界に跡を付けることができるし、他人に触れることができる。語れない学生は原理的に学生とは呼べないね。凡人だ。

 

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 同志社を灰皿に!このビラを注意ポスターの真横に張ったのだが翌日8時台にはキレイに剥がされていた。くやしい

 

結構品が無い感じになってしまった。まあ最初はこんなモンだろう。

 

好ましいとは言えない行動を行う一部の者を抑制する為に、それとは無関係の者まで含めて一律的に利益を損なうのは間違っている。受動喫煙が問題になっているのであれば当該学生に注意・勧告を行うなどするべきで、当事者での解決を目指すべき。

 

 路上で喫煙する人はなんでそんなことをするのか。マナーが悪いから?周りの迷惑も考えられないから?どれも違います。喫煙所が存在しないからです。当たり前ですね。今まで吸っていたのに急に吸う場所が無くなる。でもタバコは吸いたい。そうなればどこか適当な場所で吸います。何もおかしくありません。身包み剥がされ食い物がなくて死にそうな人間に「盗みをするな」と言えますか?ヤクザに足洗わせといて社会に受け入れなきゃどうなりますか?また元の稼業に近いことをします。人間には居場所が必要です。居場所がなきゃ死にます。だからみんなどこかに居場所を見つけます。そこがどんな場所であれ。それは裏の世界とか、詐欺集団だったりするかもしれない。でもそれはそれで居場所なんですね。

 

だから喫煙者は路上であろうがどこであろうがタバコを吸います。マナーとかそういうしょうもない問題ではありません。その人はその人として生きるための場所が必要で、今回は今まであった場所がなくなったから新しい場が生成された。それだけのことです。そこがたまたまラウンジの外の道路だった。まずその現実を認識しなければなりません。

 

あ!「そもそも吸うな」とか思いましたか?残念、丸っきりまちがいです。とても残念です。これは原理的な話です。車を運転したい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。卵焼きが食べたいのなら食べればいいし、カレーがいいならカレーを食え。別に誰が何をしようが構いません。ナイフで自分の腹を刺そうが子供を作ろうが、ちょっと川の水を飲んでみようが、構いません。なんたって私たちは個人の集まりだからです。私たちの魂に従って私たちは生きればいい。個人の生は絶対的です。だってみんな自意識からは逃れらんないでしょ?これは原理的な話です。人間には脳がついていて、そいつが命令出してそんでやりたくなって、身体が動いて、結局、やる。公共の福祉とか権利だとかそういうのは一旦忘れましょう。「おれがおれのようにおれとして生きる。」この事実は覆すことができません。集団の利益だとか他者危害がどうのとかは甘っちょろい〈折り合い〉です。そんなの議論はそこらの暇人に任せておけばいいのでここではただ真っ当な話をしましょう。タバコを吸いたくない奴は吸わなきゃいいし、吸いたい人はバンバン吸えばいい。明らかに周囲から見て健康を損なう、奇妙に思えるような行為であっても当人がやりたいんだからやらせればいい。いちいち口出しなんで無意味な行為はしない。生きるって、そういうことです。

 

「タバコを吸うな」なんて言う奴は人間として間違っているということがわかりました。いやでも受動喫煙の問題がある!と言う人がいるかもしれません。確かに煙は勝手に流れるから吸いたくない人の健康を害するかもしれません。だったら解決策はこうあるべきです。

 

「タバコの煙が流れないようにする。」

 

 問題は「タバコを吸う奴」なのではなく「タバコの煙がそこらへんに広がる」ことなのだからそれに対して手を打てばいいんですよね。健康増進法が改正されたからとかいうそういうカスみたいな理由は理由になりません。吸いたい奴がいて吸いたくない奴がいる。同じ空間にいれば吸いたくない奴が吸うハメになる。じゃあ仕切りを作るなり解決策を考えればいいのです。何度も言いますが吸える場所を無くすのはひたすらにナンセンスです。根本的に間違っています。このことが分からない人はあほであんぽんたんです。一生規則というぽこちんでもしゃぶって家でネトフリでも観ときましょう。ぼくが言いたいのはつまりタバコを吸いたくない近隣住民に害を与えているのは大学の運営だ、ということです。これが事実です。関係ない人間にタバコの煙をまき散らしておいて、学生をドアから締め出す。これを俗に「恥の上塗り」と言うんでしょうね。まちがいにさらなるまちがいを乗せる。まちがいをまちがいだと認識できず、まちがった認識を行いさらにまちがいを犯す。もうどうしようもありません。もうなんかただの悪党です。良心教育を掲げる大学がただの悪党だった。結構デカめなおとぎ話ですね。同志社生はその主人公です。みんなどうするんだろうね?

 

 

 

ちなみに同志社を創立した新島襄は国禁を犯して函館から出国しアメリカに渡り、帰国後同志社を創設したらしいですね。自由に考え、自らにとって必要であると感じれば国の掟だろうが無視して貫徹する。その精神こそがこの私学たる同志社の根幹を成すものなんじゃないかな。おれは本当にそう思うね。健康増進法だの押し付けられた規則をただテキトーに受け入れ、それを実行することだけに躍起になり、カネで雇った、パシリみたいなジジイ警備員に実際の抑圧を行わせる。おれが張ったビラはすぐ剥がされたしなんとかしてみようとしてもすぐ駆けつけてくるからね、警備員が。おれが何かを主張しても「それは大学に言ってください。」「われわれは警備が仕事ですから。」の一点張り。ほんと愚かな仕事してんなといつもおもうよ。そんで大学も愚かだよな。そういう抑圧は自分でやれ。なに他人雇ってるんだ。ほんと、キャンパス内どこ行ってもいるからね、警備員。どこ行っても目を光らせてくる。気づいてないかもだけど同志社生はこの警備員の目を内面化してキャンパス・ウンチ・ライフを送っているのだと自覚すべきだよね。そしてこの警備員の目は大学のありかたがそのまま表れているわけ。ま、今出川が自由で良心に溢れた空間なのか、そうでないのかはすぐわかるよね。こんな分かりやすい形で姿勢を示してくれているのはむしろありがたいかもね。われわれもそれに明確な形で主張ができるのだから。

あと警備員さんも大変、悪いのは阿呆なルールを決める大学、なんて言うみんなもいるようだけど自分の自由を侵してくる人間に対してはそいつにどんな事情があろうときっちり対峙すべきなんだよね。すべき、というよりそうできなきゃただのモグリっすよね。何のモグリかって?みんなにはきっと良心があるから分かるはず…。

 

「良心館」と名付けられた場所の扉を閉ざして学生を閉め出す。この意味を大学には考えてほしいね。でもそんな頭ないだろうし考えられないだろうからおれが考えさせてやる。

 

(次回、自動ドア開放作戦(失敗)へと続く)