緑の汽車に乗って

 人間は色々だ。色々な人に出会い、色々な感情を抱く。

 

 目の前に居る人間は、色々を抱えてきた。どんなにつまらない(こういった物言いは嫌いだけど)人生を送ってきたかのように見えても、やはり、その人には色々がある。身体中にいろんな色々が張り付いていて、時間が過ぎると、くらげみたいに、ふわふわいろんなことを渡り歩く。いまこの瞬間が世界で一番最高に思えても、いまが一番楽しく思えても、やはり、それは色々の一つでしかないのだ。

 

 ここに、普段からなんとなく鬱な原因があるのかもしれない。どんなに楽しく、満たされても、やはり、それは色々のうちの一つでしかないのではないか。どんなに最高でキマって楽しくても、それはただ、一つのものでしかない。それはとっても悲しいことじゃないか?

 

 でも、最近はそんな色々も飲み込むことができた。もし仮にイマが、色々の一部分であったとしても、まあ、人間はそういうものなのだ。色んなことを渡り鳥みたいに、渡り歩いて、色んな経験をして、色んな人々に出会う。色んな人の一部分である色々を、イマこの瞬間に相互に交換しあう。人との付き合いなんてそんなものじゃないのか?むかしのことは薄くなっていく。どんなに濃くて味が深くて、忘れられなくても、イマには勝てっこない。

我々は、イマしか生きられないのだ。

(2021.10.19)