もしも

カネコアヤノ『タオルケットは穏やかな』

死ぬときはこのLPを棺桶に入れてほしい。こんなに胸が高まって、幸福な気持ちになったのは久々だ。小学生の頃に小説にハマったりしたときの、ピュアなあの感情。大人になってからハマるのとは違うような、本気ののめり込み。このアルバムを聴いてから、10数年ぶりにそんな"のめり"を感じた。初めてスクールオブロックでねごとの『カロン』が流れてきたときに、感じた脳みそを撃ち抜かれたような衝撃をいま、この『タオルケットは穏やかな』を聴いて感じている。

 

ここ最近のカネコアヤノは、がなるように歌っていたのだけれど、このアルバムでの伸び伸びとした、楽になったような、スパッと力の抜けたような歌い方、歌声を聞いて、ちょっと泣きそうになった。こんなに寄り添って、等身大のまま、歌ってくれるなんて。『よすが』『燦々』それぞれに色があり、良さがあるのだが共通しているのは焦燥感、なんだと思う。焦っているというか、わからないけれどひとまず進む。その意思が、彼女のあり方が、がなるような、殴るような歌声に表れているように、そう思う。

『タオルケットは穏やかな』一周回って、まあ、大丈夫だろう。一息ついて自分のあり方を見つけたような、そんな安心感が感じ取れる。

スターピース。傑作だ。音とか楽曲の良さはもう語るには及ばないんだけど、カネコアヤノが近くに見えるというか、そんな気がする。曲というパッケージングがギリギリのところでされている、というか。いい曲が聞けて嬉しいというか、もちろんそれもあるんだけど、こんな歌い方をしてくれるんだという喜びの方が大きい。こんな姿を見せてくれるんだ。そういう変わり身、それも無理に頑張るのではなく、一番難しい、よくわからない自分というものを出していくというそういうあり方で。

 

『もしも』を聴いて、カネコアヤノは音楽をやめてしまうのではないかと思ってしまった。初期の穏やかな曲たちと今回のアルバムは雰囲気は似ているのだが、大きな違いは今回は呟いて、囁いているのだ。歌っていない。心を、魂を、そのまま載せている。俺にはそう感じられたのだ。何はともあれ、こんな素晴らしいアルバムに、生きているうちに出会えてよかったと思うし、カネコアヤノと同じ時代に生きて、その歌を聴いていられることがたまらなく幸福だ。3月の大阪城ホール、楽しみだ。『もしも』の、ギリギリの歌い方。たまらない。

 

ありがとう。